脳の強化学習、しなきゃ損。
こんにちは、かもめです。
今回は、先日読んだ本の内容についてアウトプットしていきたいと思います。
結論
自分はこの本から脳の仕組みとどのように勉強する際に脳を活用していけば良いか学んだので、そのことについて皆さんにお伝えしていきます。
まず、結論から言ってしまうと、脳を活かす勉強法とは脳を喜ばせる勉強法のことです。
では、この脳を喜ばせるということがどのようなことであるかについてお話していきます。
脳を喜ばせるということは、簡単に言うとドーパミンという脳内物質を出すということになります。
このドーパミンという物質が出ることによって、人間は快感を覚えます。
ドーパミンの量が多ければ多いほど、快感のレベルは高いものとなってきます。
つまり、勉強によって多くのドーパミンを出して、高レベルの快感を覚えることが脳を活かした勉強法ということになってくるのです。
では、次はどのようにしてドーパミンを出していけばよいかについてお話していきます。
ドーパミンの出し方
基本的には、ドーパミンという物質は人間ならば誰しもが出すことができるものなのです。
ドーパミンは、何かを達成したときや周りの誰かから認められたときに出るものです。
なので、簡単に言ってしまえば楽しい時に出るものです。
この快感を脳が記憶して、それを再現しようとするサイクルを強化学習と呼び、これこそが脳を活かすために必要な仕組みなのです。
誰しもが、自分が楽しいと感じたことや、嬉しいと思ったことは何度もやりたい、もっと高いレベルでやりたいと思いますよね。
これこそが脳の強化学習の黄金サイクルなのです。
この強化学習のサイクルに脳がハマってしまえば、あとは雪だるま式に良い方向へと回っていくのです。
それがたとえ好きではなかったことだとしても、この強化学習のサイクルにのせてしまえばやがては好きなこと、もしくは得意なことになってくるのです。
つまり、脳の強化学習の仕組みを正しく理解して、このサイクルに従って勉強法し脳を強化していくことが脳を活かす勉強法の本質です。
次は、どのようにしたらこの強化学習のサイクルを上手く回していくことができるかということについてお話していきます。
強化学習のサイクルを回す方法
強化学習のサイクルを上手く回す際に鍵となってくるものは、やはりドーパミンという物質です。
ドーパミンをコントロールすることができれば、皆さんの思う通りに強化学習のサイクルを回すことができるのです。
では、このドーパミンをコントロールする簡単な方法をお伝えします。
それは、越えられなさそうで越えられる壁を越え続けるということです。
この、超えられなさそうで越えられる壁というところが非常に重要なポイントです。
越えられない壁では絶対にだめなんです。
壁を越えられなかった時に、脳はその越えようとした一連の行動自体に対して苦手意識を持ってしまい、強化学習のサイクルからは一気に外れてしまいます。
その時点でなかなか厳しい状況に脳は追い込まれていると思ってください。
何が言いたいかと言うと、目標設定がとても大切であるということになってきます。
簡単に越えられるハードルを越えるだけではドーパミンの出る量は多くはありません。
逆に、高いハードルを越えることができればドーパミンの出る量は多くなります。
ですが、そもそもの話ハードルを越えることができなければドーパミンは出ないのです。
自分が越えられる範囲内で最大限に高いハードルを越えることが最も多くのドーパミンを出すのに必要な行動なのです。
強化学習のサイクルはこのハードルを雪だるま式に高くしていってくれるものなので、この回路を活用できれば脳は成長していく一方ということになります。
ここは筋トレとも通ずる部分があるのですが、しっかりとした負荷をかけてその負荷を乗り越えることでその負荷を乗り越える前よりも成長します。
このような成功体験を着実に積み重ねていくことが大切になってきます。
これはなにも、英語や数学といった勉強だけに当てはまることではなく、仕事やスポーツなど様々な分野の物事にも適応するメソッドなのです。
終わりに
今回は、どのように脳のドーパミンという物質を活用して強化学習のサイクルにのせていくかということについてお話してきましたが、これはまだ入り口の話のようなものなので、今回の話が全てだとは思わないでください。
ここからは、どのようにしたらこの脳の仕組みを最大限に活用できるのかという具体的な方法になっていきます。
このことについては、また別の機会にお話していこうと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今回の話が少しでも皆さんの役に立てば幸いです。
次回もよろしくお願いします。
かもめ。
かもめ流春休みの過ごし方。
約一ヶ月ぶりの更新となってしまいましたが、こんにちは、かもめです。
年末に風をひいてしまい、1月は大学の期末試験やレポートに追われていたこととブログへの気持ちの低下によってこのようなことに、、、
これからは春休みになったのでまた再開していこうと思いますので暖かく見守ってくださると助かります、、、
さて、今回は春休みのような長期休みに大学生である自分は一体どのように時間を使っていくべきなのかということについて考えていきたいと思います。
長期休みにたくさんの時間があるけれどもどのように時間を使ったらいいかわからない、いつもなんとなく時間を過ごしてきてしまっている、この春休みは充実させたいという方に少しでも役に立つよう今回はかもめ流の長期休みの時間の使い方を紹介していきます。
春休みというと、その学年が終わって、まだ新年もスタートしてばかりで希望に満ち溢れていると思います。
それと同時に、新学期に向けて準備を始めなければならない大事な期間であることも忘れてはなりません。
この春休みをどのように過ごすかによって、新学期及び、その一年間がどのような一年間になるか決まってしまうといっても過言ではありません。
逆に、この春休みを充実させることができれば最高の新学期を、一年間を過ごすことができます。
それでは、早速本題に入っていきたいと思います。
1.思いっきり遊ぶ
新学期の準備とか最高の一年間にするための過ごし方とか言っておいてまず一番最初に来るのが思いっきり遊ぶってどういうことだふざけてんのかと思う方もいるかもしれませんがお許しください。
これには、かもめなりのしっかりとした理由があるんです。
それは、思いっきり遊べない人間は思いっきり勉強できない、ということです。
どういうことかというと、オンとオフをしっかりと切り替えられる人間は遊びも勉強も全力でフルコミットできるということです。
もちろん、遊んでばかりで大事な春休みを過ごしていては決して有意義な時間を過ごすことはできませんが、勉強してばかりいてもそれは価値ある春休みを過ごしたとは思えません。
なので、遊ぶ内容は飲みに行くでもカラオケオールをするでもなんでもいいのでその代わり遊んでいる時間は勉強のことは一切忘れて全力で遊んでください。
2.時間さえあれば本を読む
2つ目は、時間さえあればひたすら本を読みまくるということです。
皆さんが、普段どれくらいの時間読書に充てているかはわかりませんが、春休みは普段の最低二倍は読書に時間を使いましょう。
普段月に10冊の本を読んでいるのならば、春休みは月に20冊の本を読んで過ごしましょう。
春休みはただでさえ、学校の授業がなく、勉強から離れてしまいます。
なので、意識して本を読む時間を多くすることで自然と勉強に対するモチベーションを保つことにも繋がります。
時間があれば、普段はなかなか立ち寄らないような図書館やブックオフなどに行って新たな本との出会いを探してみるのも一つの素敵な過ごし方だと思います。
本は非常に価値あるもので、読んだその人の人生を豊かなものにしてくれます。
つまりは、本を読むだけでもう有意義に春休みを過ごすことができているのです。
それだけでなく、確かな自己投資でもあるので、確実に自分自身に返ってきてくれます。
今まであまり読書をしてこなかった人もこの春休みを機に読書してみることを強く勧めます。
3.何か今までやったことのない新しいことに挑戦してみる
最後に3つ目は、自分が今まで経験したことのない何か新しいことを経験してみるということです。
これは、前の2つとも関連してくることなのですが、せっかく時間が普段よりもあるならば経験に時間を使うべきです。
経験というものは非常に価値があって自分自身に大きな付加価値を付けてくれるものでもあります。
経験の種類は本当になんでもいいのですが、なるべくそれを経験したときに自分がドキドキワクワクするようなものがベストです。
例えば、スカイダイビングをする、見たことないスポーツの試合を生で観戦してみる、行ったことのない国に行ってみるなど何でも大丈夫です。
このような経験は自分の視野を広げてくれて、また他にもいろんなことをしてみたいというような気にもさせてくれます。
脳に新たな刺激を経験させるということは成長への大きな一歩となり、きっと充実した春休みを過ごせたと胸を張って言えるようになるでしょう。
今回は、かもめ流春休みの過ごし方を3つの項目に分けて紹介しました。
皆さんも、せっかくの春休みを有意義なものにするためにかもめ流の過ごし方を参考にしていただけたら幸いです。
時間というものは有限であるため、浪費してしまわないように大雑把でもいいので春休みに達成することリストを作ってみるとより時間が有効活用できるかと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
かもめ。
今すぐ自炊を始めよう。
かもめです。
皆さんは週にどれくらいの頻度で自炊しているでしょうか。
自分は現在大学生で一人暮らしをしているのですが、今回は自炊をしていて感じたメリットに絞って書いていきたいと思います。
節約になる
何よりもまず、一番に挙げることができるのがこの節約という点です。自炊は本当に節約になります。
一人暮らしをしている方で少し毎月のお金が厳しいなと感じている人は今すぐに自炊をしっかりとできているかについて見直すべきです。
毎食毎食コンビニやチェーン店でお弁当やご飯を食べてしまっているという方はその出費が実際は思った以上に大きな物となっていることがあります。
コンビニ弁当は多くの添加物が含まれているので健康にもよくありません。自炊して作ればそんなにお金がかからないような料理でさえ、お店やコンビニでは加工費がその値段に含まれているので割高なものとなっていしまいます。
もちろん、たまに外食をするということであればそんなに出費はかさみませんが毎食となってくると話が変わってきます。
それに、自炊で安く美味しいものを作って食べるという行為は節約できたという謎の優越感にも浸れたりします笑
食費を抑えることによって自分の趣味にお金を使ったりすることができるので費用面においては本当にメリットしかありません。
日頃からスーパーに行って食材の値段を見ておくと、自分が実家で暮らしていた時は当たり前のように食べていた肉や野菜が想像以上に高かったりしてなかなか自分では買えないと気づいたりもできます。
市場価格を把握しておくということはそのものの価値を見定める際に非常に重要な感覚となってくるので日常生活から鍛えておくべきものであると自分は考えています。
特に男性陣はなかなかスーパーで食材を買うということが日常化されていない方が多いと思うので若いうちからガンガンスーパーを使い倒しましょう。
女子受けが良い
やはり健全な男子であれば女の子にもてたいですよね。
そう、自炊している、料理ができる男子というものは女子受けがとてつもなく良いのです。
自炊しているということは最低限度の料理ができるということになるのでそれだけで高感度が上がります。
また、この人は将来奥さんに料理を任せっきりにしたりしなさそうだ、女性を大切にしてくれるだろうと思ってもらえます。
男が女の子の手料理を食べたいように、女の子だって男の手料理を食べたいはずなんです、、、、、た、たぶん、、笑
兎にも角にも、料理ができるということを女の子に話してマイナスになったことはほぼほぼありません。
今の時代、スマホ1つあれば自炊することは簡単にできます。
クックパッドで作りたい料理を調べて、その通りに作れば良いだけなんですから。
親切なことに、クックパッド先生は動画や近くのスーパーの特売情報なども教えてくれます。
何を隠そうこの自分もクックパッドのヘビーユーザーですから笑
もはや気づいたらクックパッドなしには料理できないかもしれませんね。
今まで自炊経験がなくて右も左も全くわからないという方でさえもクックパッド見ながらならそれなりに美味しい料理が完成します。
こんな感じで少しずつ自炊のレパートリーを増やしていくことによって、趣味は自炊なんてことを言える日もそう遠くはありません。
生活のリズムができる
一人暮らしをしていると、親がご飯を用意してくれていた環境とは違って、黙っていてもご飯が出てくるなんてことはなくなります。
自炊しなければ、自分が食べるご飯はないのです。
食事というものは生活リズムを崩さないためにも非常に重要な要素となってきます。
ただでさえ一人暮らしをしていると生活リズムが崩れがちなので、それでいて自炊をしないとなるといよいよ家でしっかりとご飯を食べる機会がなくなってしまいます。
生活リズムが崩れてしまうと、自分の体調を崩してしまうことにも繋がってしまうのでデメリットしかありません。
しっかりとした食事は生活の質を高めてくれますし、充実した生活を送ることができます。
もちろん、自炊することは本当にめんどくさくて大変なことだと思います。
けれど、それも日々の生活のためにやらばければならないことの1つなのです。
規則正しい食事は勉強や仕事にも良い影響を与えてくれます。
【番外編】筋トレにも相性抜群
自分はほぼほぼ毎日ジムに通って筋トレをしているのですが、筋トレをするならばやはり食事は最重要事項です。
どれだけハードに筋トレを頑張ったとしても、食事をおろそかにしてしまった場合はその日にやった筋トレが無駄になってしまいます。
筋トレして筋肉を破壊したぶん、カロリーを大量に消費した分、しっかりとした食事を摂らなければ回復はしませんし筋肉も成長しません。
筋トレの効果を最大限まで引き上げるためには、自炊して多くの栄養を摂りましょう。
牛丼ばっかり食べていてはだめなのです。
自炊ならば可能な限り食材を自分で選ぶこともでき、量も安くたくさん食べることができるので自炊する以外の手段はありませんね。
まとめ
今回は、自炊をしている中で自分が感じたメリットを3つ挙げてみました。
- 節約になる
- 女子受けが良い
- 生活リズムができる
この3つをトータルして考えると、めんどくさかった自炊もちょっとは魅力的なものに感じてもらえたでしょうか。
さて、今日のメニューは何にしましょうか。
かもめ。。
ジムに行く気が起きないあなたへ。
かもめです。
今日のテーマ
自分の趣味と言うか日課は週5,6でジムに通うことですが、そんな自分も今日はジムにいきたくないなと思う日だって結構あります。
今回は、そんな自分がジムにあんまり行きたくない時にどうやってジムに行くモチベーションを作り上げているかということについて、5つの項目に分けて書いていきます。
YouTubeで筋トレ動画を見る
これはジムへのモチベーションを上げるのに結構役立つ方法です。
今日はちょっとやる気がでないなと言う日にはもちろん、普通にこれからジムに行って筋トレしようという日でも純粋にモチベーションが上がります。
やはり自分よりも体がデカいマッチョがガンガン筋トレしている動画見ると自分もサボってはいられないなというふうに思ってしまうんですよね。
特に、胸トレだったら胸トレの動画をなど、その日にやる予定の部位の種目のトレーニングを見ると、実際にジムに行っても意識的にフォームを正しく行えたりこれほんとにいいことしかありません。
上級者ならば別の話かもしれませんが、やはり初心者や中級者の方は筋トレ動画を見て学ぶことは多いです。
YouTubeには無料で種目の解説やフォームの注意点などを教えてくれる動画が数多く公開されているので本当におすすめです。
ベットでゴロゴロしたりしている時でも、YouTubeの筋トレ動画を見るとジムに行く気になったりしますもん笑
サプリメントを飲んでしまう
これはもうジムに行く気がなくても、先にサプリメントを飲んでしまって、ジムに行かざる得ない状況を自ら作り上げてしまうというものです。
自分の場合はプレワークアウトにクレアチンとEAAとマルトデキストリンを混ぜたものをプレワークアウトドリンクとしていつも飲んでいるのでそれを先に作ってしまい、飲んでしまいます。
これ飲んだらジムに行かないで家でゴロゴロしているのは勿体無いという状況に自分を追い込みます。
というよりかはサプリメント自体お金がかかっているものなのでせっかく飲んだのにジムに行かないのは勿体無いというマインドを作ることが目的ですかね。
さらに、自分が使用しているプレワークアウトにはカフェインが170mgほど含まれているので飲んだら目が冴えてきてゴロゴロしていられなくなります笑
友人と一緒に行く
現在自分は友人とジムに通っていることが多いのですが、これもモチベーションを上げるのには重要な役割を果たしてくれています。
仮に自分があまりジムに行くモチベーションがなかったとしても、友人にモチベーションがあればその友人に引きづられるようにして行くことができたりします。
それに、友人がジムに行くのに自分だけ家でゴロゴロするというのはなんだか気が引けますし、その一回で差がついてしまいます。
ジムに行った回数が全てではありませんが、やはり筋トレというものはやった分だけ成果がでるものなので行った回数も重要な成長の一因であると自分は考えています。
それに、憂鬱であまり気分の乗らないジムへの道のりも友人とならば話ながら楽しく過ごすこともできます。
あとは、友人との合トレは自分一人で追い込んでいるときとはまた少し違った追い込み方ができるものなのでそこも利点であると感じています。
とりあえず行ってしまう
これは上記の3つとは少し違って、ジムに行くモチベーションがなかったとしても、何も考えずにとりあえずジムに行ってしまうという単純明快なものです。
何を馬鹿なことを言っているんだと思うかもしれませんが、これが意外といい方法なんです。
筋トレって自分の場合はぶっちゃけ、やる前はほぼほぼの時が嫌で憂鬱なんですよね。
ですが、やり終わった後は不思議なことに毎回謎の充実感に満ち溢れているんですよね笑
筋トレやり終わって後悔したり憂鬱な気分になったことは今まで本当に一度もないです。
筋トレをしっかりやっただけでその日1日が充実した良い日であったと感じることができるんですよね。
それに、やる前はモチベーションが低くても、やり始めると意外と気分が乗ってきてガンガン筋トレできたなんて日もあったりするくらいなので意外と行くだけ行ってみる法は使えたりします。
もし行ってみて本当に気分が乗らなかった時は、一種目だけやって帰ればいいんです。
自分に人参をぶら下げる
ジムに行きたくない理由って、大半がジムに行って辛くてしんどい筋トレをする自分の姿をイメージしているからだと思うんですよね。
だったらこの逆の考え方をして、ジムに行きたくなるような理由付をしてあげればいいんだと自分は思っています。
それは、ジムに行って筋トレを頑張った後の自分に何かご褒美を設定してあげるという手法です。
例えば、ジムの帰りに美味しいご飯を食べて帰ろうだとか、帰りは本屋に寄って漫画を買って帰ろうだとかどんな小さいことでもいいので自分が頑張れる人参を自分にぶら下げてあげれば良いのです。
ただ、この手法は毎日毎日使っていると、あまり効力自体が薄くなってしまう傾向が強いので乱用しないように気をつけてください。
まとめ
今回は自分が実践しているジムに行きたく無い日のモチベーションの上げ方について5つの方法を紹介してきました。
この5つの中に1つでも皆さんのモチベーションを上げるのに役立つものがあれば幸いです。
(久々のですます調でお届けしました、、、どっちがいいんだろ、、笑)
かもめ。。
そのクリスマスプレゼント、メルカリ行きじゃない??
かもめです。
もうすっかり街中はクリスマスムード真っ只中である。
クリスマスに過ごす人がいる人もいない人も今回はお付き合いいただきたい。
さて、そんな今回のお題は、クリスマスの代名詞であるクリスマスプレゼントについてである。
クリスマスプレゼントがメルカリ行きになってしまう理由
彼氏彼女にクリスマスプレゼントをあげた際に、それが余りにも残念なものだった場合メルカリなどのネット上に出品されてしまうというような話があることをご存知だろうか。
今回はどうしたらメルカリ行きのプレゼントにならないか、彼氏彼女に喜んでもらえるプレゼント選びについて考えていく。
まずは、なぜ多くのクリスマスプレゼントがメルカリ行きになってしまうのかについて考えていく。
多くの女子大生は彼氏にクリスマスプレゼントとしてありきたりなブランドのネックレスなどを貰うとそれをネットに出品してしまうらしい。
実際に大学の女の子から聞いた話なのだが、これが結構経験者が多いあるあるネタらしい。。。
女子大生こわ!!!
とその話を聞いた時は純粋に思ったのだが、よくよく冷静に考えると納得できたのだ。
きっと、彼女らは無意識のうちにそのありきたりなブランドのクリスマスプレゼントをある部類のものとして分類してしまっていたのだろう。
それは、女友達が前にもらってたやつ、というカテゴリーだ。
きっと貰ったというような話を聞いたことが無いものならばそのクリスマスプレゼントは出品されることはなかったはずだ。
男性諸君が必死こいてネットの女子大生の彼女が貰って嬉しいクリスマスプレゼント10選なんて記事を読んでしまいそれを鵜呑みにしてそのままクリスマスプレゼントとして採用してしまうその過程にこそ問題があるのではないかと自分は考えた。
そのクリスマスプレゼントは彼氏が彼女の為に考えて選んだわけではなく、多くの女子大生が喜びそうな物から思考停止状態で選んだモノに過ぎないのである。
きっと、クリスマスプレゼントというものはありきたりなブランドの物なんかよりも彼女のことを真剣に考えられたオリジナリティのある物が良いはずだ。
ありきたりなブランドの物はそもそも彼女の女友達との会話の中で馬鹿にされてしまうはずである。
決してメルカリ行きにならないプレゼント選び
つまりは自分が言いたいことは、プレゼントというものはどんなに有名なブランドか、どんなに高価な物か、などというところには価値はなく、その相手のことを考えて悩んだ時間こそが本当の意味でのプレゼントなのであるということだ。
というか、そうであって欲しい笑
最初は何をあげれば喜んでもらえるか全然わからなくても、それを満たす為に相手の普段の発言や好みを思い返す過程が重要なのである。
相手の喜ぶ顔が見たくて真剣に悩む時間にこそ価値がある。
それをどこの誰が書いたかわからないようなランキングを頼りにしてクリスマスプレゼントを決めてしまうことは余りにも相手に失礼であって、軽率な行為なのではないだろうか。
相手がよっぽどのブランド好きであって、ブランド物であればなんでも良いというような恐ろしい女の子では無い限りそうであってほしい笑
真剣に相手のことを考えることができれば、きっとあるタイミングでこれだというクリスマスプレゼントに出会うことができるであろう。
これはなにも、クリスマスプレゼントにだけ言えることではなく、家族や友人にプレゼントをあげる時にも通じる考え方である。
現に自分は、プレゼントを選ぶ際に多くの時間をかけて考え、相手の普段の何気ない一言などからヒントを得て、相手が喜ぶプレゼントに辿り着いてきた。
せっかくプレゼントをあげるならば、相手が心から喜んでくれる顔を見たいというのが本音ではないか。
どっかの誰かが作ったランキングを見て決めてしまおうとしていたならば、今すぐにそのページから目を離すべきだ。
プレゼントとは究極のマーケティングである
これはちょっと大げさな話かもしれないが、プレゼント選びというものは究極のマーケティングであるとも自分は考えている。
プレゼントをあげる相手を消費者と考えて、その消費者が何を欲しがっていて、自分が消費者に提供しようとしているものは消費者のニーズに合っているかという考え方ができないだろうか。
このような考え方をするようになってから自分はプレゼント選びを一つのゲームとして捉え、心から楽しめるようになった。
いかに相手が欲しいものや必要としているものが何かを考えて、相手を最大限に喜ばせることができたら自分の勝ちである。
このように考えると、今まで少しばかり憂鬱であったプレゼント選びの時間が楽しいものとなったのだ。
その結果、多くの人からプレゼント選ぶセンスが良いと褒められることもできるようになった。
自分にとってはただ単純に考えて選んでいるだけの話である。
今回は、クリスマスプレゼントから派生してプレゼント選びについて自分の考え方を述べてきた。
少しでも皆さんが大切な人にクリスマスプレゼントを選ぶ際の助けとなれば幸いである。
にしても街のクリスマスムードきちい、、、、、、、笑
かもめ。。
オタクは辞められない。
かもめです。
今回は、唐突な暴露になるがどうかお付き合いお願いしたい。
では早速、、、
自分はオタクである。
世間一般で認識されているあのアニメや声優が好きなオタクである。
正式にはオタクであった。
現在は自分の中の全盛期に比べると、完全にライトなオタクになっていると言える。
全盛期の自分ははっきり言ってヤバいオタクであったと自負している。
今回はそんな自分がガチガチのオタクであった時期と現在について、また、オタクという人種についての世間一般が抱いている認識について考えていく。
まずは、自分がガチガチのオタクであったオタク全盛期時代から話していく。
最初はひょんなことから見た、けいおん!というアニメがきっかけであった。
自分はリアルタイムではこのアニメを見ていなかった。
このアニメは軽い社会現象を巻き起こしたアニメであるため、名前くらいは聞いたことがある方がいるかもしれない。
はっきりいって、リアルタイムでこのアニメが放送されていた時期に自分の友人はどハマリしていたが、当時の自分は盛大にオタクに対して偏見を持っていて、アニメを、特に深夜アニメのような萌系と揶揄されるようなジャンルのものをバカにしていた。
が、そこから数年たったある時、自分はそのけいおん!を見たのであった。
見た経緯については今となってはもう定かではないが、テスト期間中かなにかに時間が有り余っていて見た記憶がある。
そう、その一話を見た時に自分の中に衝撃が走った。
それは今まで十数年生きてきた中でも感じたことのない類の衝撃であった。
見始めたら最後、テスト勉強などというものは忘れ去って、一期から二期まで一気に見終わってしまったことを今でも鮮明に覚えている。
そして、そのアニメを見ている最中に自分は多くの喜怒哀楽を感じ、多くの涙を流し、二期の最終話が近づいてくる頃にはもう終わってしまうのかと悔やむほどにドップリとハマってしまっていた。
そのアニメの絵や物語や音楽、声優さんの演技その全ての要素に心を奪われてしまった。
全てを見終わってからは大きな喪失感を覚えるほどであった。
初めてアニメにハマった自分にとってはそれほどに大きな出来事であった。
幸い、その直後に映画が上映されるという神タイミングで視聴していたため、無事に映画は3回見に行くことができた。
もちろん、地元の映画館でボロボロ泣いたことは言うまでもない事実である。
しかしながら、ここで完全にアニメにハマっていったかと言うとそれはまた違う話であった。
実際にアニメや声優にガチハマりした時期はそこからまた一年ほど後のことであった。
その時期にまた少し時間を持て余していたので、アニメを見る気になり、とあるアニメを見てそこからは毎クール5から10本ほどのアニメを視聴しながら同時に過去のアニメも視聴していた。
最初は自分も純粋にアニメをアニメとして楽しむタイプのオタクであったのであるが、徐々に声優に、主に女性声優に興味が湧き偶然聞いてしまった当時放映中であったアニメのラジオにハマってしまったのだ。
今思えば、ここが自分の人生の大きな分かれ目であったと自身を持って言い切ることができる。
ここで声優にハマってさえいなければ、アニオタ、声ヲタなどという類のものにはならなかったのかもしれない。
しかしながら、自分は決してアニメや声優にハマったことに関して後悔はしていない。
むしろ、そのおかげで今の自分があると言っても過言ではないし、アニメや声優を通して多くの友人にも出会うことができたし、様々な経験をすることもできた。
少し話がそれてしまったが、自分はアニメに本格的にハマった時期とそう遠くは無い時期に声優にハマることとなった。
どのくらい声優にハマっていたかと言うと、声優さんの出るイベントがあれば駆けつけ、そのアニメに対してそこまで興味がなくてもそのイベントに参加するほどのいわば声優第一主義な残念なタイプのオタクであった。
なんなら、一番推していた声優ユニット及び声優さんが出演するイベントやライブが地方であるならば、東京から沖縄や東北まで行っていた程である。
もっと言えば、一番推していた一人の声優さんには手紙まで書いていた。
そう、お渡し会などでは本人を前にすると頭が真っ白になるオタクであった。
本当にアニメ自体も好きであったし、その全盛期の当時に推していた声優ユニットや声優さんにはたくさんの元気をもらった。
はっきり言って、そのために生きていると言っても過言では無いレベルに考えていた。
また、同じ声優ユニットが好きな友人にも出会うことができ、その友人たちとライブやイベントに参加したり声優さんやアニメについて語り合う時間は何よりも楽しい時間であった。
本当に本当に、その時間はかけがいのない時間であった。
が、その夢のような時間はそう長くは続かなかった。
自分自身の環境が変わってしまったことや、そのアニメや声優さんを取り巻く環境さえも変わってしまう時期がちょうど被ってしまったのである。
そうなると、そのバカみたいに高かった熱量はいとも簡単に下がってしまい、いわゆる他界というものに繋がってしまった。
ほぼ完全に声優のオタクから自分は卒業したのである。
大学生となった現在はもうほぼほぼ声優への興味はゼロだ。
まだ興味が残っているものはアニメとアニソンである。
今は1クール2,3本見るか見ないかであり、狂ったように参加していたイベントにはもう一切参加していない。
アニソンは今でも割と聞いたりしている程度である。
全盛期に比べれば自分の中ではもう完全にライトなオタクである。
もう昔のように熱狂的なオタクに舞い戻ることはないであろう。
もちろん、大学の友人は自分がオタクであるということは一ミリも知らない。
基本的に自分はオタクであることを世間一般に公開することに対して大きな抵抗を感じているのでできることならば隠したい。
これは決して、オタクが恥ずかしいものであると言っているわけではなく、わざわざ理解されにくい趣味を他人と無理やりに共有したくないということである。
別に、誰かと共有したいわけでも理解してほしいわけでもない。
共有できる楽しさや、理解してもらえる嬉しさを知っているが、それ故にその逆があることも知っているしその逆側の立場に普段は立ってしまうこともまた事実だ。
趣味なのだから胸を張って主張すれば良いという人もいるかもしれないが、こればっかりは難しい。
アニメという文化は本当に素晴らしいものである。
このことは間違いないが、このアニメが日本において世間一般ではまだまだ理解され難いものであるということも大きな現実である。
自分はオタクをやめた、引退したというものの、やはり完全に断つことはできずにいる。
一時期は本当にアニメや声優に嫌悪感を抱いてしまっていた時期もあったが、今となってはゆるく、ちょうどよくアニメを好きでいられている。
息抜きとしてはちょうどよいものである。
昔は一人暮らしをしたらオタク部屋にしてやると野望を抱いていたものであったが、実際に一人暮らしを初めた今となっては、オタクグッズは実家の奥深くに眠ってしまっている。
けれども、アニメほどに自分の心を大きく動かすことができたものやことは未だにそう多くは見受けられない。
というわけで、今回はざっと自分がガッチガチのオタクであった話とアニメの素晴らしさ、現在のオタク度合いについて話してきた。
オタクと陰キャなどと揶揄することに対しての記事はこちら。
最後に、皆さんも釘宮病には充分に気をつけるべきであると実体験を踏まえた上で締めくくることとする。
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かもめ。。
その勉強、作業じゃない?
かもめです。
早速だが、今回は最近友人と話していてちょっと引っかかった点があったのでそのことについて考えていく。
自分は今大学に通っている。
その中で日々課題やレポート、プレゼンなどが課されている。
自分の周りの友人や知り合いを含め多くの学生はこの類のもののことを勉強と呼んでいる。
あ~勉強しなきゃ〜と言ってこの類のものに取り組んでいる。
自分はこの考え方に大きな違和感を覚えている。
自分はこの類のもののことは作業であると認識しているからである。
ここに大きな認識の違いが生じているのである。
講義を受ける為に事前にやってこなければならない課題を片付けることや、講義で課されたレポートを仕上げることや、プレゼンのパワポを作成することは単なる作業であって勉強ではないと自分は考えている。
自分にとって勉強とは、何かに対して自主的に興味関心が向き、それを能動的に学んだり知らべたりすることによって自分自身に内在する知的好奇心が刺激されることであると認識している。
一方で、受動的に何か提示されていることに対してその枠内で課されたものをやり遂げることを自分は作業であると認識している。
ほぼほぼの大学における課題やレポートやプレゼンの資料作りはそこに知的好奇心を刺激するものはなく、やらなければならないという使命感や状況に置かれているからただやっているだけである。
これを勉強と呼んでしまって良いものであろうか。
自分は良いとは思わない。
勉強とは主体的な、能動的な学びのことであるはずだ。
この作業を勉強であると思い込んでしまって、作業を多くこなしたことに満足し、本当の意味での勉強をしなくなってしまうことは本当に危険である。
作業はあくまでも、勉強するための、何かを学ぶための準備にすぎないのであってそれ以上でもそれ以下でもない。
多くの大学生諸君はこのことに早く、早急に気がつくべきである。
偽りの、口だけの、形だけの勉強とは到底呼べないものはさっさと片付けて価値ある勉強の時間を増やすべきだ。
自分は主に、読書やそこから気になったことをネットや別の本によってさらに深めて自分の知識としたり、最低限の語学力の向上のための時間のことを主に勉強と呼んでいる。
しかしながら、自分の場合は日常生活の中に多くの学ぶ機会を見出すことができているので起きている時間の多くが勉強の時間であるといっても過言ではない。
何か一つのことを学んでいるときや気になったことがあった時にそこから芋づる式に広がっていって新たな、思いもよらないことを学ぶことができたときは質の高い勉強ができたと感じることができる。
さらにそれは自分の知識欲を満たしてくれる行動でもある。
人は学ぶことをやめたら終わりであるとさえ自分は考えているため、死ぬまでずっと学び続けていたいとも思う。
それが多くの人々にとってどんなに小さなことであったとしてもだ。
また、この自分が学んだことを他の誰かに教えたり説明したりすることによってもっとその学びは深く自分のものとなる。
人に説明することによって、自分が何を理解していて、何を理解できていないのかということが浮き彫りになるのである。
ここに作業のような思考停止状態でもできるような容易さはなく、常に頭をフル回転させて脳みそを酷使していく必要がある。
テクノロジーが進歩し、事務的な、作業的な仕事はロボットやAIに取って代わられてしまう時代がすぐそこにやってきている中で今もなお作業に尽力することに何の意味があるのであろうか。
作業は決して楽しいものではないが、学ぶということは本当に楽しいことである。
自分が興味関心が強い分野であれば、多くの人は時間を忘れて調べたり学んだりすることができるはずである。
その学びの範囲を広げることができれば、自然と物事に対する考え方や捉え方が変わってくるはずだ。
今は面白くないと思っているようなことでも面白い、もっと知りたい学びたいと思えるであろう。
今回は、勉強と作業は全くもって違うものであるということについて考えた。
とはいえ自分も明日締切の作業がまだ何個か残っていることはとりあえず忘れておこう笑
勉強と作業どちらをするにも使える考え方はこちらの記事に。
勉強を習慣化させたいならこちらの記事に。
かもめ。。
筋トレ必修化のススメ。
かもめです。
いきなりだが、皆さん、筋トレはしているだろうか?
自分はほぼ毎日のように筋トレをしている。
そう、何を隠そう自分は筋トレが大好きである。
今回はプログラミングだなんだを必修化すると言っている前に筋トレを必修化すべきとさえ思っている自分が思うがままに筋トレについて語っていく。
とはいえ自分も、本格的に筋トレを始めたのは今年の春頃、3月あたりの話である。
去年の末頃に大学で仲のよく多くの時間を過ごしている友人に一緒に自分の通っているジムに入って筋トレ始めないか?と誘われた。
自分はちょうど、高校の野球部を引退してからほぼ何も運動をしていなかったので運動をするいい機会であると思い、その誘いに乗った。
ところが、軽い気持ちでジムに入会した自分はすぐに自分の考えが甘かったと気がついた。
そのジムに誘ってくれた友人は高校時代はサッカー部で筋トレの経験はそこそこあった。
が、大学に入学してからその友人は本格的に筋トレにハマり、周りが見ていても明らかにわかるほどに体、主に上半身がデカくなっていたのである。
一方自分はと言うと、高校時代からポジション柄ほぼほぼ筋トレ、主にダンベルやバーベルを使用するベンチプレスなどのフリーウェイト種目には縁がなくほぼゼロからのスタートであった。
当時の自分は、友人がベンチプレスを100キロ上げている中、やっとの思いで50キロ上げるといったレベルであった。
はっきり言って、友人のこなすメニューはとても過酷なものだったし、友人と自分が扱う重量の差に嫌気がさし、自分が情けなくなるほどであった。
そんなこんなで友人に必死に付いていっている内に、自分も徐々に筋トレの成果が出始めて気づいたときには自分も筋トレにハマってしまっていたのである。
春前に友人に弟子入りした自分であったが、夏前にはすっかり独り立ちし、自主的に筋トレをするようになっていた。
なんなら、その友人よりもジムに通う日数が多くなるほどであった。
そして、月日は流れ、すっかり年末となってしまった今となっては自分に感化された友人が新たに二人ジムに入会し、この自分を目標と筋トレを始めるようになった。
現在の自分は決して、先の友人のようなマッチョではないのだが、明らかに筋トレを始める前と今では体つきが変化した。
もちろん今はまだやっとスタート地点に立ったばかりであると考えているが、ジムに入り筋トレを始めるきっかけをくれた友人には本当に感謝している。
筋トレというものは実に単純でやったらやった分だけ成果が目に見えて出るものである。
が、それと同時にまた実に奥が深く、研究しがいがあり面白いものである。
さらに、多くのメリットがそこにはあり、むしろデメリットを挙げろと言われたほうが難しいレベルでさえある。
これからの時代、多くのテクノロジーが指数関数的に成長、進化して生活は様々な方向に変化していくだろう。
しかしながら、少なくとも自分たちが生きている間の時代には人間の体そのものが機械やテクノロジーとそっくりそのまま入れ代わることはまずないことであろう。
ならば、体というものはどんなにテクノロジーが進歩したとしても必要不可欠な資本であるはずだ。
世界のトップに君臨する経営者やビジネスマンが筋トレというワークアウトを必修科目であるかのようにこなしているのにはしっかりとした理由があったのだ。
たくましい体と強靭な精神力を培うのに筋トレは最適解なのである。
はっきりいって、成長期が来る前や、まだ高校生で自分の身長をもっと伸ばしたい人には筋トレはおすすめできるものではない。
自分は日本人の中ならば上位2%の部類に入る身長であるが、身長を伸ばすために様々な努力をした。
その中に、なるべく上半身のウエイトトレーニングはしないという考えもあった。
身長を伸ばしたい人は、まず身長を伸ばすことに尽力すべきである。
では、どのような人々に筋トレをおすすめするかというと、主に成長期を終えた大学生や専門学生から社会人の方々にである。
時間に余裕があるならば絶対に筋トレすべきであるし、時間がないのならば無理矢理にでも時間を作って筋トレをすべきである笑
筋トレには多くの細かいメリットが存在するが、自分が最も実感しているものは、日々の生活に充実感が生まれるということである。
はっきり言って、筋トレというものは物凄く辛く、しんどいものである。
こんだけ大声で勧めておきながらなんだと思うかもしれないが、決して楽しいことばかりではない。
が、そのしんどさに見合うかそれ以上の価値やメリットはあるし、毎日の生活に今までにはなかったハリができるであろう。
こればかりは口や文章でいくら説明してもなかなか伝わるものではないと思うが、ちゃんと継続していれば実感できる日は必ずくる。
さらに、この筋トレを継続するということは多くの人々にとって日常生活の一部ではなかったものであるはずなので習慣化を身につける大きな成功体験となることであろう。
こちらでも触れている習慣化という大きな武器を手に入れる過程を筋トレによって身をもって実感することができる。
また、筋トレをすれば大抵の日常生活で感じた小さなストレスはどっかに吹き飛んでしまう。
こちらの記事でも触れている、自分自身の成長に必要でない無意味なストレスは筋トレで吹き飛ばすのが一番だ。
自分は前述したように友人とジムに通うことが多い。
が、友人と一緒にトレーニングをしようが独りでトレーニングをしようが、筋トレというものは基本的には自分自身との対話であり、孤独の中での闘いである。
こちらの記事でも書いたが、まさに筋トレこそ孤独な時間の代名詞なのである。
例え友人と筋トレしていたとしてもそのバーベルやダンベルを上げるのは自分自身であり、友人は決して上げてはくれないのだ。
まあ、補助は別の話であるが。
最も、自分は敢えて友人とは行かないで自分独りでジムに行って筋トレをするときや、一緒に行っても別々でやるときがある。
やはり、孤独に、孤高に自分自身を高める時間というものが筋トレにおいても必要不可欠なことであるからだ。
今ではもはや筋トレに行かないと気持ち悪くさえ感じるほどに日常生活に溶け込んでしまっている。
自分はこのブログを書き始めたのはここ最近のことである。
正直なところ、まだ全然このブログを書くということが筋トレのように自分の日常生活の中に溶け込んでいくイメージができない。
習慣化というものは、やはりとても難しいものであると改めて実感している。
けれど、筋トレや読書を習慣化することに成功した自分ならばブログを書くことも習慣化することができると自負している。
筋トレでも読書でも習慣化するまではまず多くの数をこなしてきた。
ならばブログも文章を書く筋トレのようなものであるはずだ。
やればやるほど自分の糧になるはずだ。
このように、自分は筋トレから多くのことを学んできたし、今現在も学んでいる最中である。
それに、これから先も筋トレからもっと多くのことを学び、多くのものを得ることができるであろうと信じている。
今回は自分が感じてきたことや筋トレに対する思いについて書いた。
一人でも多くの人にこの筋トレという素晴らしい文化が伝わることを願ってやまない。
またの機会に、筋トレが我々にもたらすメリットについてより具体的に書いていきたいと思う。
かもめ。。
雨の日は家にいるのが一番。
かもめです。
あいにくにも今日の東京は雨だ。
自分は雨の日が嫌いである。
こんなこと言ったら農作物のことも考えろなどと言われてしまうかもしれないが、雨が嫌いだ。
しかしながら、自分は高校までは雨が大好きだった。
今回は、皆さんにとっては非常にどうでもよくて無駄である話かもしれないが昔は雨が大好きであった自分がなぜ、どうして今現在は雨が嫌いになってしまったのかについて話していきたいと思う。
まずは高校までなぜ雨が好きだったかについてから話していこう。
自分は、小学校5年生から高校卒業まで野球をやっていた。
小学校の頃は少年野球の弱小チームでレギュラーだったのだが、中学校はなかなか伝統のある地域のクラブチーム、高校はそこそこ強い野球部に何を間違ったのか入団、入部してしまい万年B チームというような選手生活を送っていた。
まあ自己紹介はこんなところにして、何を隠そう自分は中学校あたりから野球の練習に行くのが、野球の練習があるのが本当にストレスで嫌なことであったのだ。
今となっては高校までやりきって良かったと思っているが、当時の自分は本当に野球が好きではなかった。
野球を好きになって猛練習し始めたのは本当に高校2年生の春くらいからだった。
それまでは本当に野球が嫌いだったので、雨が降ってグランドがグチャグチャになり、練習がなくなったり、早く終わったりすることを毎週、毎日のように望んでいた。
そう、これが自分が雨が大大大好きであった理由である。
雨が降るとテンションが上がったし、ルンルン気分だったのだ。
何なら雨が鬱陶しいと思うようになった今でさえも当時の名残でなんだかわくわくして少しテンションが上がってしまうことがある笑
高校時代は午後の授業の途中で大雨が降ってきた日にはクラスの野球部と踊って喜んだりしていたものだ。
今思えば周りの生徒からしたら異様な光景であっただろう。
しかしながら、そんな自分も高校の引退試合の頃にはもうどっぷりと野球に染まり、ハマりきっていた。
そんななかで今までのバチがあたったのか引退試合当日の天気予報は残酷なことに雨であったのだ。
やっぱ神様っていんのかななんて思ったりもした。
引退試合は基本的には自主的に最後の夏の大会前に行われるものなので、雨天中止の場合が多い。
けれども、前日から雨はしとしとと降り続いていた。
現実は残酷であった。
規定のメンバーに入れなかった自分たち高校三年生の十数人はこのまま最後の晴れ舞台さえもなく終わってしまうのかと思っていた。
が、引退試合当日の午前中あたりから雨がやみ、予報とは逆の晴れになってきたのである。
そして、グランドのコンディションは悪いながらも無事に引退試合を決行することができた。
まあ、なんて自己中で都合のいい考えだと思うかもしれないが当時ガキンチョだった自分はこんなものである。
そんなこんなで野球をやめて大学に入り、ただの一般学生となった今では雨なんて大嫌いになったのだ。
特に自転車通学をしている自分からしたら雨なんて最悪だし、自主休講しようかなんて思ってしまう。
さらにジムまでも自転車で30分ほどかかる自分からしたら雨は日課を妨げる大敵でさえある。
今日だってわざわざバス代を払ってジムまで行ったのだから。
服だって濡れるし、髪型だって崩れてしまうし、洗濯物が干せない。
いいことなんてないじゃないか。
人はその環境が変わることでこうも変わってしまうものだろうか。
とはいえ、これは結構な野球部あるあるらしく、高校野球部だった友人や知り合いとこの話題を話すと高確率で盛り上がる。
今回は何の話がしたかったのか自分でもわからないが、とりあえず雨が降ってもジムに行きやすいようにさっさとジムの近くに引っ越そうて話。
かもめ。。
孤独の愛し方。
かもめです。
皆さんは孤独という状態に対してどのような考えをお持ちであるだろうか。
孤独というものはなぜかマイナスなイメージを抱かれやすいものであると自分は認識している。
しかしながら、この孤独というものは人を成長させるには必要不可欠なものであると自分は考えている。
今回は、世間一般的にあまり良いイメージを持たれていない孤独というものが人生においていかに重要であるかについて考えていく。
まず、この孤独というものに対する世間一般の捉え方について考える。
多くの人は孤独を嫌っていることであろう。
孤独というと、一人ぼっちでいることや集団に属していない状態のことを指す。
日本は集団主義の教育の元に育ってきているため、多くの人々は集団に属することが当然のことであり、何ら疑う余地の無いことであると思っていることであろう。
これは何もそう思っていることが悪いという話ではない。
しかし、集団に属するまたは誰かと一緒にいることが当たり前であってそうでないと不安になったり自分に自身が持てなかったりする状態が非常に危険であるということは声を大にして言いたい。
トイレに行くのも誰かと一緒、教室移動をするのも誰かと一緒でないとできないなどということはもってのほかである。
自分を含め、近年の若い世代の人々がこのような状態に陥ってしまっていることは、スマートフォンとSNSの急速な普及に大きく起因している。
朝起きてから夜寝るまで、家の外に居ても中にいても24時間どこでも誰かと繋がることができる時代になったことにより、孤独というものに対する耐性がほぼゼロに近くなったしまったのである。
かくいう自分も、スマートフォンにはかなり依存しているし、外出先でスマートフォンの充電が無くなろうものならば物凄く不安になってしまう側の人間である。
けれども、その理由はスマートフォンにほぼほぼ全てを集約してしまっているからであり、決して孤独が怖いなどという理由ではない。
自分は同世代に比べてLINEやInstagram、Twitterなどという類のSNSに割く時間が少ないと自負している。
その理由は、そのようなことに割いている時間が単純にあまりないからだ。
1日が48時間あってやること全て終わって時間が死ぬほど有り余っているならばそこに時間を割くことができるかもしれない。
とはいえ自分も、昔はそこに1日の多くの時間を割いていた側の人間であったし、はっきり言って孤独が怖くて常に誰かと繋がっていないと不安で仕方なかった側の人間であったこともまた事実である。
だが現在は、そのような状態にはいない。
なぜならば、孤独なんて怖くないし、むしろ人生において必要不可欠なものであっていかに孤独な時間に自分自身を成長させるかというふうに考えているからである。
もちろん、友達とご飯を食べたりお酒を飲んだりカラオケに行ったり談笑したりすることは好きだし、その時間がなければ寂しくなってしまう。
このような時間を全てなくして孤独になれと言っているのではなく、このような時間と同じかそれ以上に孤独な時間を大切にすべきであると言いたいのだ。
わざと孤独な状態を作り、その時間は思う存分自分自身を成長させる時間に使うべきである。
自分の場合であれば、筋トレや読書、将来に関する勉強の時間を作るためにわざと一人でカフェに行ったり、大学の図書館に籠もったりする。
この時間がなければ現状維持しかできないし、今の自分、昨日の自分よりも一歩前に進めない。
孤独であることは何も悪いことなどではないし、むしろ孤独を愛せる人こそが本当に強くて成長できる人であると自分は考えている。
現代社会が作り出した孤独に対する固定観念などはさっさと捨てて、孤独をいかに活用できるか考えることから始めるべきである。
そのほうが誰かといるときもより楽しめるし、自分の人生がより楽しいものとなるであろう。
孤独を愛せる者こそが人生を制すといっても過言ではない。
よかったらこっちの方も、、、
てか、背中トレ追い込みすぎて背中バッキバキ笑
かもめ。。