孤独の愛し方。
かもめです。
皆さんは孤独という状態に対してどのような考えをお持ちであるだろうか。
孤独というものはなぜかマイナスなイメージを抱かれやすいものであると自分は認識している。
しかしながら、この孤独というものは人を成長させるには必要不可欠なものであると自分は考えている。
今回は、世間一般的にあまり良いイメージを持たれていない孤独というものが人生においていかに重要であるかについて考えていく。
まず、この孤独というものに対する世間一般の捉え方について考える。
多くの人は孤独を嫌っていることであろう。
孤独というと、一人ぼっちでいることや集団に属していない状態のことを指す。
日本は集団主義の教育の元に育ってきているため、多くの人々は集団に属することが当然のことであり、何ら疑う余地の無いことであると思っていることであろう。
これは何もそう思っていることが悪いという話ではない。
しかし、集団に属するまたは誰かと一緒にいることが当たり前であってそうでないと不安になったり自分に自身が持てなかったりする状態が非常に危険であるということは声を大にして言いたい。
トイレに行くのも誰かと一緒、教室移動をするのも誰かと一緒でないとできないなどということはもってのほかである。
自分を含め、近年の若い世代の人々がこのような状態に陥ってしまっていることは、スマートフォンとSNSの急速な普及に大きく起因している。
朝起きてから夜寝るまで、家の外に居ても中にいても24時間どこでも誰かと繋がることができる時代になったことにより、孤独というものに対する耐性がほぼゼロに近くなったしまったのである。
かくいう自分も、スマートフォンにはかなり依存しているし、外出先でスマートフォンの充電が無くなろうものならば物凄く不安になってしまう側の人間である。
けれども、その理由はスマートフォンにほぼほぼ全てを集約してしまっているからであり、決して孤独が怖いなどという理由ではない。
自分は同世代に比べてLINEやInstagram、Twitterなどという類のSNSに割く時間が少ないと自負している。
その理由は、そのようなことに割いている時間が単純にあまりないからだ。
1日が48時間あってやること全て終わって時間が死ぬほど有り余っているならばそこに時間を割くことができるかもしれない。
とはいえ自分も、昔はそこに1日の多くの時間を割いていた側の人間であったし、はっきり言って孤独が怖くて常に誰かと繋がっていないと不安で仕方なかった側の人間であったこともまた事実である。
だが現在は、そのような状態にはいない。
なぜならば、孤独なんて怖くないし、むしろ人生において必要不可欠なものであっていかに孤独な時間に自分自身を成長させるかというふうに考えているからである。
もちろん、友達とご飯を食べたりお酒を飲んだりカラオケに行ったり談笑したりすることは好きだし、その時間がなければ寂しくなってしまう。
このような時間を全てなくして孤独になれと言っているのではなく、このような時間と同じかそれ以上に孤独な時間を大切にすべきであると言いたいのだ。
わざと孤独な状態を作り、その時間は思う存分自分自身を成長させる時間に使うべきである。
自分の場合であれば、筋トレや読書、将来に関する勉強の時間を作るためにわざと一人でカフェに行ったり、大学の図書館に籠もったりする。
この時間がなければ現状維持しかできないし、今の自分、昨日の自分よりも一歩前に進めない。
孤独であることは何も悪いことなどではないし、むしろ孤独を愛せる人こそが本当に強くて成長できる人であると自分は考えている。
現代社会が作り出した孤独に対する固定観念などはさっさと捨てて、孤独をいかに活用できるか考えることから始めるべきである。
そのほうが誰かといるときもより楽しめるし、自分の人生がより楽しいものとなるであろう。
孤独を愛せる者こそが人生を制すといっても過言ではない。
よかったらこっちの方も、、、
てか、背中トレ追い込みすぎて背中バッキバキ笑
かもめ。。