利他主義=利己主義。
かもめです。
皆さんは利他主義と利己主義というものを説明できるだろうか?
自分は先日この2つに関して英語の記事を読んで少し疑問に思う点があったので今回はこの2つの考え方について書いていく。
まずは、言葉の定義から。
利他主義(りたしゅぎ、英: altruism)とは、自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方。
利己主義(りこしゅぎ、英: egoism)は、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。
このように、字のまんまで自分の行動に対する利益が他人にあれば利他主義、自分にあれば利己主義といった感じのものである。
これに対して自分は大きな違和感を抱いた。
そもそも利他主義というものはほぼほぼの状況下で成立し得ない考え方なのではないだろうかと考えた。
というのも、ミーアキャットと人間の臓器提供ということがその英文では例として挙げられていたのだ。
ここに、とある矛盾点があった。
ミーアキャットは捕食者から身を守る為に、餌を収集している仲間を一匹の仲間が木の上から見張るという習性がある。
この見張る側のミーアキャットを利他主義の例として挙げていたのだが、実はこのミーアキャットは見張る前にお腹いっぱいにご飯を食べているようであるらしい。
さらに、鳴き声を仲間への警告音として使うらしいのだがこれも捕食者を自分が見つけたらまず一番に自分が逃げて安全な場所に移動してから警告音を鳴らすようなのだ。
次に、人間の臓器提供についてだが、これも臓器提供側は利他主義とされていた。
しかしながら、臓器を提供することによって自尊心が満たされたり、提供した他人に感謝されたりと提供側にも利益が生じるのではないか。
これらのことから自分は、そもそも完全に利他的な行動というものはこの世に存在しないのではないかと考えた。
利他的な行動というものは他人の利益を追求するものであるし、その利益を無償で得た相手からは半強制的、自動的に感謝されてしまうであろう。
その瞬間から、完全にその利他的な行動をした本人に利益が生じないということはありえなくなってしまう。
ミーアキャットのように一見すると利他的であるかのような行動であっても実は利己的なものであったりするケースも存在する。
他人の利益を追求するということは、自分自身の利益を追求することに繋がっていて切っても切れない関係性にあるのではないかと自分は考える。
こんなとこで終わりたいと思う。
にしても未だに altruismが初見過ぎて覚えられない、、、笑
かもめ。。
女友達なんて概念。
かもめです。
皆さんは異性の友達というものが何人いるだろうか?
自分には一人もいない。
下記の記事にも書いたのだが、自分はそもそもの友達が少ない。
同性の友達が少ないならば異性の友達が、かもめに女友達がいなくたってそれは至極当然なことではないか、と思うであろう。
しかしながら、今回したいのはそういう話ではないのである。
自分は、そもそも女友達、つまりは異性の友達なんてものは定義することのできない存在であると考えているのである。
これは何も女友達が今まで一度もできなかったからそう思っているという類の話ではない。
はなから、異性の友達なんてものは成立し得ないという内容の話であることを分かっていただきたい。
自分にとっては、よく話したり、課題をLINEしてもらったりする関係性の女の子は女友達ではなく、女の子の知り合いという認識なのだ。
つまりは、何がどうなったとしてもその相手が異性であるかぎりは友達になることはないということである。
極論、知り合いか彼女かの二択にしかならないということである。
調子乗んなと言わずにもう少し我慢していただきたい笑
ただでさえ同性の友達の基準値が高い自分にとって、異性との関係性というものははっきり言って最小限でいいという話である。
自分は人間関係において煩わしさや面倒くささを感じることが本当に嫌いなことであって極力そのような状況にならないように管理している。
自分にとってプラスになるかマイナスになるかの差し引きで人間関係を判断することは良くないと主張する人もいるかもしれないが、自分はやはりそれが大きな判断基準となってしまっている。
プライベートで多くの人と関係を構築するということは、それだけ多くの自分自身の時間を他人に使っているということになるはずである。
だから、自分は最小限で良いと考えている。
加えて、女の子との関係といったらめんどくさいとしか言いようがない。
これは女の子が悪いとか嫌いだとか言っているわけではなく、あくまでも性別が違うということに起因しているものだと理解していただきたい。
自分だけに限ることなのかもしれないが、彼女でもない女の子とどれだけ話してもどれだけ仲良くなっても、どこかでは気を使って話しているだろうし普段使うことのない労力を使って接している。
よく男女の中にも友情は成立するなどと考えている人がいるが、そういう人たちのことは素直に尊敬してしまう。
その言葉が言いたいだけでなく、本当に心から思っている人たちに対してだけではあるが。
他にも、例えば同性の友達とご飯に行ったりしたり飲みに行ったりする時とは違って、店や食べるものや話す内容や他にも様々なことに気を使わなければならない。
自分は女友達が多いことやそれをひけらかすようなことには何の意味も価値も感じないので、そういう人たちの思考が理解できない。
よっぽど時間と気力が余っているんだな〜としか思えない。
とまあ、今回はかもめは友達が少ないだけでなく女友達までいないという話であったが、ではなく自分のなかの女友達というものに対する考えについて書いてみた。
自分でも大分ずれていて変わっているとみなされても仕方のない考え方であるとは感じるが、間違っているとは思っていない。
果たして、これからこの考え方は変わっていくのであろうか。
かもめに女友達ができることはあるのであろうか。
かもめ。。
森永製菓大粒ラムネはマストバイ。
かもめです。
皆さんは森永製菓のラムネをご存知だろうか。
多くの方があのかわいくて小さいボトルにラムネが詰まっている方を思い浮かべるであろう。
今回、自分が最近とてつもなくどハマリしていてぜひ皆さんにおすすめしたいのはそのラムネである。
かくいう自分も長い間このラムネを口にしていなかったのもまた事実だ。
だが、ちょっと前に大学の売店でこのラムネが大粒になって袋に入ったものが売られていたのである。
以前何度かブドウ糖のタブレットを購入し、勉強や課題の合間に食べていたのだがいかんせんあれ系の商品は貧乏学生にはややお高いのである。
そんなところに彗星のようにして突如現れたのがこの森永製菓大粒ラムネなのである。
なんと一袋の値段は焼く100円前後で結構しっかりとラムネが入っている。
しかも一粒一粒が大粒となっているので食感もシャリッとしていて、味も昔食べた懐かしい味そのままなのだ。
ここからが本題なのだが、自分がこの森永製菓大粒ラムネを食べているのには味や食感以外にも大きな理由がある。
それは、このラムネには90%ものブドウ糖が含まれているということだ。
これは、他のラムネのお菓子に比べても多い割合だ。
ではなぜこのブドウ糖が多く含まれていることに価値があるのかについて簡単に説明していく。
このブドウ糖というものは、脳が摂取できる唯一のエネルギーなのである。
逆を返せば、このブドウ糖が不足すると脳は正常に働かないということになる。
さらにその逆を返せば、ブドウ糖を摂取していれば脳は正常に働くということにもなると自分は考えている。
よく頭をつかう棋士が対局中に甘いものを大量に摂取したりしていることからもわかるように、脳は多くのエネルギーを消費する場所なので、適切なケアをしてあげないとサボり始めてしまう。
脳が疲れてしまうと、思考力が低下し、ぼーっとして、集中力もなくなり、イライラしてきてしまうのである。
このことから、ブドウ糖はなくてはならないものなのである。
実際に、この森永製菓大粒ラムネをゴリゴリと噛み砕いていると、カチコチになってきていた頭がスーッと軽くなってきて頭が回ってくる。
嘘のような話だと思うかもしれないがこんな安くて手軽に摂取できるもので驚くほどに作業効率が上がるのである。
一度だけでいいから試してみてほしい。
人にものを勧めたりすることはどこか偉そうであまり好きなことではないが、こればっかりは全力でおすすめする。
なにせ自分もついさっきジム帰りにふらっと寄ったドンキに1袋79円で安売りしていて思わず5袋も買ってしまったばかりである笑
なにかしっかりと考え事をしたいときや大事な試験の前や試験と試験の間の休憩時間などにカバンに入れておくだけできっとあなたの役に立ってくれることであろう。
かもめ。。
ロケットスタート時間術最強説。
ロケットスタート時間術というものがある。
なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である
- 作者: 中島聡
- 出版社/メーカー: 文響社
- 発売日: 2016/06/08
- メディア: Kindle版
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今回は、先日読んだこの本に出てきた時間術について自分なりにアウトプットしていく。
ロケットスタート時間術とは、簡単に言うと仕事をする時間が10時間あったら最初の2時間で8割の仕事を終わらせてしまうというものである。
そのために最初の2時間に全力投球し、死ぬ気で仕事を進めていく必要がある。
その代わりに、その後の数時間は最初の2時間よりもペースを落としたりしながらで良い。
仕事をするかしないかのメリハリを付けるのではなく、仕事をしている中でメリハリを付けるということである。
日本はそもそもの働き方が大きく間違っている。
とてつもなく効率が悪い働き方をしているのである。
何故か日本においては残業というものが美化されていて、仕事の内容だけでなくどれだけ長い時間仕事をしたかということも評価基準になってしまっている。
これははっきり言って悪い文化だ。
残業が偉いなんてことはない。
アメリカなどではそもそもの始業時間が早く、終業時間も早いというスタイルが主流である。
その多くは夕食前にその日の仕事を終わらせ、夕食は家族と過ごす時間として大事にしているのだ。
日本人のように無意味に残業したりしない。
だからといって、日本人よりも仕事をしていないのかというと全くもってそういうわけではない。
むしろ日本人よりも働いているといえる。
これを可能にしているのが、ロケットスタート時間術なのである。
最初の数時間で物凄く高い集中力を発揮し、その時間内に仕事の大半を片付けることが結果的に時短へと繋がっている。
もちろん、この最初の数時間の間にする仕事というものは、メールチェックや書類をコピーするなどといういつやっても効率が落ちない単純な作業ではなく、しっかりと頭を働かせて行うべき内容のことを指している。
この時間中は、できるだけ外部との接触は断ち、自分一人だけになれるような環境を作り上げることが望ましい。
仮に最初の三十分物凄く集中できていたとしても、家族や同僚、友達にその研ぎ澄まされた意識を一瞬でも邪魔されてしまうとなかなか元の状態に自分を戻すことは難しい。
またこの考え方は1日という短期的期間の中で考えるだけでなく、その仕事や課題の締切までの期間という長期的期間に応用して考えることも可能である。
例えば、10日後が締切であるとしたら、締切ギリギリでラストスパートをかけるのではなく、最初の二日間で一気に仕事の8割を完成させるというものである。
そして、残りの8日間は流しの時間として余裕をもってその仕事をブラッシュアップさせていけばよいのである。
おそらく、このような時間の使い方をしている日本人はそう多くはないのではないだろうか?
しかしながら、1日の最後の最も効率が落ちる時間帯や締切間際で心の余裕がなくなっている時期にラストスパートをかけることは決して賢い時間の使い方であるとは思えない。
かくいう自分も、多くの日本人のようにやらなければいけないことはギリギリまでやらずに最後でスパートをかけてしまっている側の人間である。
だからこそ、このロケットスタート時間術は名前こそふざけているが自分自身の人生を大きく変えてくれる考え方であると思う。
人が生きているうちに与えられている時間は有限なものであるからこそ、その時間を有効に活用していけたほうが何倍も人生は充実したものとなり、楽しいはずである。
眠くなったら仮眠をとって作業効率を取り戻したっていいのだ。
兎にも角にも、まずは早起きするところから自分は始めていこうと思う。
きっと話はそれからであろう笑
かもめ。。
友達は少なくていい。
かもめです。
自分は友達が少ない。
世の中にはこれをあまり良くないことと思う人もいるかもしれない。
友達は人間強度を下げるなどと考えている人もいるかもしれない。
友達100人できるかななんて歌は自分にとって理解に苦しむものである。
友達が少ないということは果たして問題のあることなのであろうか。
今回はこのことについて考えていく。
そもそも、友達の定義というものは何なのであろうか。
.....
まずこのような疑問を持っていることが友達の少ない大きな要因なのであろう笑
友達が多い人はまずこのようなことは考えまい。
そんなことはさておき、自分なりに定義するならば友達とは無言の時間が辛くない関係の人のことである。
は?そんなの友達じゃないやん笑と思った方もいるかもしれない。
どういうことかと言うと、一緒にいて全く気疲れをしない関係性ということである。
たとえ同じ空間にいて全く別のことをしていて何時間も話していなくとも、お互いなんともない関係性が自分の友達の基準である。
このような関係性ではなく、常に無言にならないように話題を探していたり、相手に合わせて無理に愛想笑いをしたり、素の自分を見せられないような関係性を自分は友達であるとは思わない。
このような理由から自分は両手で数えられるほどしか友達がいない。
けれども、友達が少なくて困ったことはない。
むしろこのような考え方をできている自分に誇りを持っている。
自分の周りに大学内ですれ違う人あちらこちらに友達がいるようなタイプの人がいる。
良く言えば八方美人なのであろうが、自分はああなりたいとも思わないし、否定する気もない。
彼ら彼女らはあれが本当に心から楽しくてやっているのであろう。
ただそれが自分には適さなかったというだけの話なのである。
昨日見たAVなどのくだらない話から、将来の展望について語り合えるような関係性の友達は数人いればそれだけで人生は何十倍もおもしろくなると自分は思う。
友達の数やSNSのフォロワーの数など気にする必要など全く感じない。
浅く広くではなく、狭く深く関係性を築き上げていけるような人が本当に素敵だと思ってしまう。
むしろ友達なんて多くてもいいことないし、自分が疲れてしまうとさえ思っている。
こればっかりは本当に人それぞれ感じ方が異なるためにいいも悪いもないはずだ。
だが、もし自分は周りに比べて友達が少ない、友達って何なんだろうなどと考えている方にこんな考え方の人もいるんだと思って少し気を楽にして貰えれば幸いである。
ということで今回は友達について考えた。
同時に少ない友達なくしたらほんとにただの友達いないやつになるじゃん!!と気づいてしまった.......笑
かもめ。。
スクールカースト撤廃宣言。
スクールカーストというものが存在するがこのような制度は非常にくだらないものであると自分は考える。
スクールカーストとは、学校のクラスや部活などのある一定数以上の人数がいるグループの中で自分はどの階層のグループに属しているかというものである。
いわば誰が決めたのかわからない社会の階級のようなものを学校に当てはめたものである。
多くの人はこのスクールカーストに関して一度は悩んだり考えたことがあるだろう。
自分は一体どの階層にいるのか、クラスの中で下の方にいないかなど不安に思ったこともあるはずだ。
かくいう自分も高校時代は何度か気になったこともある。
しかしながら、大学生となった現在、このスクールカーストというものが非常に無駄で意味のなく、生産性のない概念であったことに気がついたのである。
人は誰しもが自分よりも弱い人を見つけると安心するものである。
そして、心のどこかでは人よりも優位に立ちたい、目立つようなグループに属して周りから評価されたい、などという気持ちを持っているはずだ。
もちろん、このような心を全く抱いたことが無いという幸せな方々は関係ない話であると思っていただいて結構である。
このような気持ちを抱くことは決して悪なことではないと自分は考えている。
このような醜い気持ちがあるからこそ、人は成長することができるとも考えている。
だが、このような階級制度に固執したり、縛られてしまうことは非常にもったいないことであると最近考えるようになったこともまた、事実である。
そもそも、陰キャや陽キャなどという言葉で人を分類することなどできないはずだ。
何をしたら陽キャとやらになれるのか、何をしていたら陰キャというふうに蔑まれるのかと思う次第である。
このような格付けをすることをするとういことは、自分自身を安心させるための特効薬に近いものである。
けれども、こんなもので自分自身を誤魔化したところでその行為自体に何の意味が存在するのだろうか。
そんなことでしか自分の価値を図ることができないのは余りにも悲しくはないだろうか。
時として周囲の目や評価を気にすることは必要であるし、全く持って気にする必要がないとは言わないが、それしかしていないと自分自身の価値を周囲に委ねていることになりかねない。
自分自身もその制度に縛られていた側の人間であったから恥を偲んで言うが、キラキラしている集団に属しているからといって自分がキラキラするわけでも強くなるわけでもないし、逆にスクールカーストが低いと言われてしまうような側にいたとしてもその人自身が大きな価値を持っていればそっちのほうがよっぽど価値あることなのである。
このことに気がついてからは色々と楽になった気がするし、まだそんなことでグチグチ言っている人を見るとかわいそうにさえ思えてしまう。
変動しやすい外部要素にそんな重要なことを任せるのは愚かな行為だ。
そんなことしているのならば今すぐ止めてもっと自分自身を大切にするべきである。
そんなことでしか人のことを評価することのできない人などは放っておけばいい。
スクールカーストなどというものは今すぐ全国から撤廃すべき悪しき習慣でしかない。
よってここに、スクールカースト撤廃宣言をする。
(大学のレポートにつられて、だである口調で書いてしまいました笑 書きやすっかたのでこっちでいくかもしれません、、)
かもめ。。
ストレスと友達になる方法。
かもめです。
今回はストレスととどのようにして付き合っていくべきかについて考えていきます。
人が生きていく中でストレスというものは避けられないものであると自分は考えています。
ロボットやAIではないので、人間は誰しもがストレスを感じながら生きています。
一概にストレスといっても様々な種類のものがあると思いますが、大きく分けると自分にとってプラスなストレスとマイナスなストレスというものに分けられます。
プラスなストレスとは、そのストレスを感じることによって自分自身が以前よりも成長できるもの。
マイナスなストレスとは、ただ単純にストレスをそのままストレスとして感じて終わってしまうこと。
バイト先の先輩が使えないや、会社の上司が細かいなどといったものはただ単に愚痴や悩みに昇華されてしまうのでマイナスのストレス。
レポートが評価されるかどうかや、自分の案が会議で通るかどうかなどといったものは自分が望む結果が得られれば大きな自信やモチベーションになるのでプラスのストレス。
このように、プラスのストレスは人生において必要不可欠なものではありますが、マイナスのストレスは不必要なものです。
プラスのストレスは自分自身でコントロールし、上手く利用することで大きな武器となります。
しかしながら、マイナスのストレスはどう頑張っても非生産的な方向へしか昇華されません。
いかにこのマイナスのストレスを自分の日常及び人生から取り除いていくことができるかが重要であると自分は考えています。
せっかく一度きりの人生であって時間は限られているのですから、不必要なストレスのない時間を過ごしたほうがいいに決まってます。
自分は日頃から、ストレスを感じた時にはなるべくそのストレスはプラスかマイナスか考えて分別するようにしています。
また時には、何か重要な課題やしっかりと取り組むべき事柄があったときにはわざと自分にストレスをかけて追い込むことにしています。
そうすることにより、それを達成したときに大きな充実感を感じることができ次に頑張るときの大きな糧となります。
半分は自分を自分で騙しているようなものですけどね。笑
ストレスというものから逃げてしまうのではなく、ストレスと向き合い、しっかりと付き合っていくことが必要だということです。
どうせ避けては通れないものならば友達になるくらいの勢いでいったほうが人生楽しめるはずです。
脳や精神が完全にデータ化されて人間がストレスを一切感じなくなるような時代がくるとしたら話はべつですがね。笑
とはいえ自分もまだ全然ストレスとはやっとヨットもになれたくらいで友達、親友になるにはもっと成長していかなければならない状態なのでこれからも日々励んでいきます。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
かもめ。。
なりたい大人について考えてみた。
かもめです。
ここ最近筋トレしすぎて完全にオーバーワーク気味で全身バキバキの状態です。笑
そんなことはさておき、今回はなりたい大人ってなんだろうということについて考えていきたいと思います。
自分は今現在大学生なので、大人に少し足を踏み入れているもののまだ学生であり完全に大人ではないというふわふわしている状態にいます。
そもそも何を大人と言うかについては、様々な定義が存在すると思いますが今回は小難しい定義は一回置いておいて、自分がなりたい将来の姿やなりたい大人はなんなのかについて考えていくこととします。
誰しもが、差はあれどもなんかしらのなりたい大人の将来像のようなものがあると思います。それが実現可能なもであるか否かはさておき、夢や希望を持つことは自己実現において必要不可欠な要素やモチベーションであると自分は考えています。
高校時代や大学に入った頃の自分は周りからかっこいいと思われるような大人になりたいと思っていました。
しかしながら、現在大学二年の自分自身は少し考え方が変わってきたような気がします。自分の中ではいい意味で周りからの評価というものの優先順位が下がったので自分自信がどう感じているかということが重要であると感じるようになりました。
周りの誰かから見たら些細なことや全然幸せでないことだしても、自分自信がそこに大きな価値を見出すことができていればそれが自分自身にとっては一番の幸せであり、充実であると思うようになったのです。
もちろん、周囲の人から評価されることは嬉しいことですし、場合によっては必要不可欠であるとは思います。
ですが、その為だけに頑張ったりすることは人として、人生全体として考えてみると悲しく寂しいことなのではないのかと思ったのです。
周囲に自分自身の何かに対するモチベーションや満足度を委ねてしまうことはあまりにもリスキーであって、自分に対して無責任な行動や動機ではないでしょうか?
もっと自分自身を信じ、自分自身の為に頑張らなければならないと思ったのです。
自分の一番の理解者はやはり自分自身であって他人ではないと思います。新たな側面を見つけてくれるのは他人かもしれませんが、根本は自分しか知りえません。
あくまでも他人や周りからの評価や賛辞はモチベーションや動機において外部的要因であって、軸にはなりえません。
そんなこと大したことではないと思うかもしれませんが、自分はこのような考え方をすることによって毎日がとっても楽に生きていけているんだと思います。
まずは、毎日なにか小さなことでもいいので自分自身を褒めてあげられるようなことを見つけることから初めることで少しずつ世界は変わってくると思います。
ものすごーーーく話がそれていると思いますが、簡単にまとめます。
かもめが考えるなりたい大人というのは、自分自身を愛してあげられる、褒めてあげられるような大人です。
周囲の目ばかり気にすることなく、心から笑えているような大人こそが本当にかっこよくて人生を楽しく、有意義に過ごせている大人だと思います。
そのような大人になるためにはやることが山積みなわけですが、一歩でもなりたい大人になれるように日々コツコツと成長していきます。
そこらへんの大学生の戯言ですが今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
かもめ。。
習慣化という武器を手に入れる方法。
かもめです。
いきなりですが、皆さんは何か新しいことを習慣化させることが得意ですか?
自分はとても苦手です。小学生くらいの時から継続力がありませんでした。
ですが、大学に入ってから少し考え方が変わり習慣化に成功したので今回は習慣化の難しさとどうしたら習慣化することができるかについて書いていきます。
そもそもこの習慣化というものには2パターンのものが存在すると自分は考えています。
それは、
- 意識的な習慣化
- 無意識な習慣化
の2パターンです。
具体的に言うと、
- 習慣化しなければ命や日常生活に支障をきたすの→睡眠、食事、入浴
- 習慣化しなくても命や日常生活に支障をきたさないもの→運動、早起き、読書
といった類のものです。
なんとなく世間一般の人々が習慣化できているものとそうでないものを分けてみるとこのような違いがありました。
確かに、いくらそれが良いことだとわかっていたとしても今まで習慣化していなかったものを習慣化させ、生活の一部とすることは至難の技です。
しかしながら、自分は大学に入ってから筋トレをしにジムへ通うことと、毎日読書を続けることを習慣化することに成功しました。
最初は週1,2でしか通っていなかったジムも今では週5,6通えるようになり、年に1,2冊読み切るか切らないかだった本も今では毎日最低30分読書し、月10~20冊読むようになりました。
習慣化が大の苦手でそのせいでたくさん失敗してきた自分がこの習慣化に成功したのには2つの大きな理由があります。
それは、
- 習慣化せざるを得ないだけの理由付け
- 小さな成功体験の積み重ね
この2つです。
1つめは、まず、読書と筋トレに内在する大きなメリットを論理的に文章からインプットしました。
次に、その2つが自分の将来にどのような影響を及ぼすであろうかということについて自分なりに考え、まとめました。ここで重要なことは、自分の今現在の生活に関するではなく将来を視野に入れて考えることです。
そして、この2つを今習慣化しなければ自分の将来に大きな支障がきたすという考えにいたり、睡眠や食事と同等の重要性を持っていると考えました。この思考により、今まで習慣化されていなかった2つのことを半強制的に習慣化させる流れを作りました。
今やらなければ自分に将来はないくらいのマインドを作りました。
2つ目は、最初から大きな目標を掲げて挫折してしまうことのないように、小さな確実に達成することのできる目標を自分自身に課しました。
今日はジムに行きたくないなと思った日は10分だけ頑張ってみようとわりきって行ってみる、どんなに疲れていても隙間時間などを活用し読書時間を確保する、といった具合にハードルをなるべく低く設定しました。
単純なことかもしれませんが、案外この小さな成功体験というものは積み重ねていくうちに少しずつ自信となりそこに達成感が生まれ次のハードルを越えさせてくれる助走となります。
以上が、自分なりの習慣化の方法です。もちろんこれだけが全てではないですが、大きな要因ではあったので今回まとめてみました。
これからも気を抜かずに、新たな習慣化や習慣化できたことの継続をしていきます。
近いうちに、今回も触れた筋トレと読書の魅力やメリットについても書いていきたいと思います。
それでは、また次のメモも読んでくれたら嬉しいです。
かもめ。。